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2007年09月13日

九州地方

九州旅行に先日いってきました。とにかく芋焼酎が大好きなのでとても楽しかったです。
今日はそんな九州地方ついて解説します。

九州(きゅうしゅう)は、日本の南西部に位置する島で、周辺諸島も含めて、九州地方をなす。

西海道の令制国のうち、9国が島内に存在したことから、「九州」と呼ばれるようになった。「九州」「西海道」の他に鎮西とも呼ばれていた。「九州」には、対馬国・壱岐国を含まないが、「西海道」では両国を含むため、対馬・壱岐を含め、九国二島、九州二島とも呼んだ。

「九州」とは、本来は、西海道のうち筑前国・筑後国・肥前国・肥後国・豊前国・豊後国・日向国・大隅国・薩摩国の9令制国の総称。九国(きゅうこく、くこく)とも呼んだ。このため、元来の意味では、「九州」に対馬国・壱岐国・薩南諸島(奄美諸島)・琉球諸島は含まない。ただし、奄美は明治になって大隅国に編入されたため、「九州」に含むとも言える。

なお、日本史に関する俗説である九州王朝説では9国の意味ではなく、中国の九州の例に倣い九州王朝が支配する国土全てを指す意味であると主張している。

廃藩置県・府県合併以降は、本来の九州に対馬・壱岐島・奄美諸島を加えた、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県の7県を指して、「九州地方」とされている。

琉球諸島に位置する沖縄県及び鹿児島県のうち薩南諸島は、基本的に南西諸島に区分化されるが、「九州地方」に含まれる場合や、「九州・沖縄地方」と呼ぶ場合もある。また、本州に位置する山口県は中国地方に区分されているが、特に旧長門国は、九州に近く歴史的な縁の深いこともあり、山口県を加えて「九州・山口地方」と表現する場合もある。

九州を大きく二つに分けると、北部九州と南九州に分ける場合と、東九州(日豊)と西九州(筑肥)に分ける場合がある。また、北部九州と南九州の中間となる地域を中九州ということもある。ただし、これらの地域区分は使用される側によって大きく変化する。

■歴史

■古代
古代では、九州本島は筑紫島と呼ばれていた。古代の行政区画で西海道にあたり、はじめ筑前国・筑後国・豊前国・豊後国・肥前国・肥後国・日向国の7国と島嶼部の壱岐国・対馬国の2国。824年以後は大隅国・薩摩国を加えた本土9国島嶼部2国となった。また、現在の太宰府市には対外的な窓口および西海道の統轄として大宰府が設置された。

吉野ヶ里遺跡
熊襲・隼人

■中世
中世には、博多が中世都市として栄える。摂津国の渡辺氏の分流の松浦氏の一族や、藤原純友の乱において勲功のあった大蔵春実、橘公頼などの子孫が土着し、在地の豪族となる。

平家の勢力圏であり、九州の武家は平家方に属したが、源平合戦の趨勢から菊池氏や松浦氏をはじめ諸氏は源氏方に寝返り、鎌倉幕府の鎮西御家人となり地頭に補任される。

しかし、九州の武家は親平家方であったため、源頼朝は「戦後処理」として、九州の在地武家を抑えこむため、新しく東国御家人の少弐氏や島津氏、大友氏を守護として九州に送り、これらの「下り衆」が勢力を強め、菊池氏や松浦氏、秋月氏などの在地の武家を抑え、その後の九州の武家の中枢となる。

鎌倉時代には2度に渡る元寇があり、少弐氏など北九州の武士を中心に撃退した後に鎮西探題が設置される。

1333年に京都において後醍醐天皇が元弘の変で蜂起すると、少弐氏や大友氏などが鎮西探題の北条英時を攻撃する。鎌倉幕府が滅亡後に後醍醐天皇の建武の新政が成立し、後に足利尊氏は新政から離反し、尊氏は京都での戦いに敗れて九州へ逃れる。少弐氏らは尊氏を迎え、宮方の菊池武敏らを多々良浜の戦いで破る。尊氏は九州で体勢を整えた後に一色範氏・仁木義長らを足利勢力として残し、京都に上り、室町幕府を開く。

後醍醐天皇は吉野(奈良県)に逃れて南朝を開き、宮方の武将に自身の皇子を奉じさせて各地で南朝勢力の集結を呼びかけ、九州には懐良親王が宇都宮貞泰に守られて派遣され、菊池氏に奉じられる。懐良親王は明から倭寇鎮圧の要請のために派遣された使者を迎え、「日本国王」として冊封されて明の権威を背景に勢力を広める。また、足利家では観応の擾乱と呼ばれる内紛が発生し、尊氏の側室の子である足利直冬が九州で尊氏と敵対して戦う。

中央では南朝勢力は衰微し、幼い3代将軍足利義満を補佐した細川頼之が今川貞世を九州の南朝勢力討伐のために派遣すると懐良親王も博多、大宰府を追われ、貞世の働きで九州の南朝勢力は鎮圧される。貞世は九州で独自の勢力を築いたため義満に排除され、その後は大内氏が台頭する。

応仁の乱以後は少弐氏は衰退し、戦国時代には大友氏、大内氏、島津氏などが戦国大名に成長する。

主要な戦国大名

宗像氏(筑前国)
宗氏(対馬国)
城井氏(豊前国)
大友氏(豊後国)
秋月氏(筑前国)
少弐氏(筑前国)
菊池氏(肥後国)
龍造寺氏(肥前国)
蒲池氏(筑後国)
有馬氏(肥前国)
松浦氏(肥前国)
阿蘇氏(肥後国)
相良氏(肥後国)
伊東氏(日向国)
島津氏(薩摩国)
肝付氏(大隅国)
大村氏(肥前国)
立花氏(筑前国、筑後国)

■近世
豊臣秀吉の九州征伐
島原の乱
薩摩藩
西南戦争

■近代
八幡製鉄所、筑豊炭鉱、佐世保鎮守府

■年表
「九州」という呼び名・範囲に関連したもののみ

702年 - 唱更国(のちの薩摩国)が日向国から分離。
702年 - 種子島・屋久島に多褹国が置かれた。
713年 - 大隅国が日向国から分離。「九州」の語源となる9国がそろった。
824年 - 多褹国を大隅国に合併。この時点の国境が明治まで続く。
1609年 - 薩摩藩が琉球王国を占領。
1613年 - 奄美が薩摩藩に併合。
1871年 - 廃藩置県。
1872年 - 琉球王国を廃し、琉球藩を置いた。
1879年 - 奄美が大隅国に編入、大島郡となる。9国全てが現在の範囲となった。
1879年 - 琉球藩を鹿児島県に編入、さらに沖縄県に分離。
1883年 - 佐賀県が長崎県より、宮崎県が鹿児島県より分離。現在の8県がそろった。
1945年 - 太平洋戦争終戦。沖縄は日本から分離され、奄美もアメリカ統治下におかれた。
1946年 - 奄美が公式に日本から分離された。
1952年 - サンフランシスコ講和条約。日本は奄美・沖縄の領有権を放棄。
1953年 - 奄美返還。鹿児島県の範囲が本来に戻った。
1972年 - 沖縄返還。

■経済
九州には、大きく分けて南北に2つの経済圏がある。

第一次産業では、野菜、花卉類、果実類、畜産が特に盛んで出荷額が多い(南九州)。
第二次産業では、1960年代までは鉱業(石炭採掘)が盛んであったが、炭鉱の閉山後は代わって電子、鉄鋼、化学工業などが盛んである(北九州)。交通や輸送の要所に沿って、効果的に工業地域が並んでいる。また、北部の主要都市沿岸では造船が盛ん。
特に、IT産業が工業の要になっており、世界シェアの1割を占める「シリコンアイランド」と呼ばれている。また、トヨタ自動車、日産自動車、ダイハツ工業など自動車メーカーの工場の立地が進み、濃尾地方に次ぐ国内の自動車製造拠点となり、先に「シリコンアイランド」と呼ばれていた経緯から「カーアイランド」と呼ばれるようになっている(台数ベース世界シェアは1.9%)。
位置的に朝鮮半島や中国、東南アジアなどに近く、特にアジアとの貿易や輸送が盛んである。実際に、関門地方や福岡市からでは、東京都よりもソウル(韓国)の方が近い。

九州の名目域内総生産は、78兆6915億円(2000年)で、1995年比伸び率1.2%。この数値はドル換算で約6700億ドルで、これは台湾やオーストラリアを上回る。

芋焼酎に黒豚、温泉と九州にはなんでもあります。みなさんも是非足をはこんではいかがでしょうか。
お勧めです!

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